「紫蘇漬」。「紫葉漬」。「柴漬」。しば漬には、諸説の名前がある。「紫蘇漬」と「紫葉漬」は素材からきたのであろうと察しがつく。大原の名刹魚三千院の賢僧、聖応大師が創成したのが起源という漬物は、茄子、胡瓜、茗荷などを、大原の里の名産である紫蘇の葉とともに塩漬けしたものだから。大原のあたりは水質もよく、盆地の地勢や気象条件などよい紫蘇が育つ土地柄にあり、このあたりで採れる紫蘇は学会からも日本一の折り紙をつけられている。そのうえ、十分な手数を加えて栽培されるので、香り高さは抜群だ。だから、大原ではどの家でも古くから保存食として漬けていたらしい。


 さて、柴漬である。大原には聖徳太子が用明天皇の御菩堤のために建てられたという寂光院がある。今から八百年ほど前の文久の頃に、『平家物語』でつとに有名な高倉帝の皇后、建礼門院徳子様が御閑居されていた。その折に、つれづれのおなぐさめにと里人がこの漬物を献上したところ大層お喜びになり、大原女が頭にいただき売り歩く柴にちなんで「しば漬か」と仰せられたという。それが由来。


 建礼門院の悲しみは深い。壇ノ浦の戦いで幼少の息子、安徳天皇とともに海に身を投じたが建礼門院だけが源氏に救われ、寂光院に。先帝の御菩堤と平家一門の冥福を祈る憂き日々に、しば漬の味は里人の心づかいともに深く心の染みたことだろう。